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2012年1月 3日 (火)

ブログを移行します^^

新しい一年が始まりました。
みなさま、良いお正月をお過ごしでしょうか。

このブログ、引っ越ししました。
少しずつ過去のブログ記事も移行していく予定です。

また、よろしくお願いいたします^^

新しいブログはこちらです。
晴れ、ときどき読書

まだまだデザインなども整っておりませんが、徐々に手を入れていきます^^

2011年11月27日 (日)

いまさら人に聞けない「月次決算」の実務

疑問や悩みに対する答をQ&A形式でわかりやすく説明。月次決算の基本的仕組みから月次決算早期化のために基本的手法、そして月次決算を企業経営に戦略的に活用していくにはどうしたらいいかについて実務ポイントを解説。
(「BOOK」データベースより)

※ 本書は「本が好き!」様からいただきました。ありがとうございます。

職場で月次決算の処理を担当していたことがある。システム部門と実務部門の両方で。その時に月次決算の重要性を嫌と言うほど感じた。しかし、上にいる方々はこうした管理部門を軽視する傾向にあったように思う。ほとんどがシステムで処理されていることから、実務者の教育等に力を入れていないように見えたのだ。
システムで処理されている…といっても、その情報を入力するのは人間であり、経理の知識なくしてはその業務を遂行することは不可能。その知識に基づく処理をされた「月次決算書」でなければ、正しい予算管理、収支状況の把握はできないのである。
現に、私がシステム部門で月次決算を担当していたときには、現場の単純処理ミスを毎月のように修正あるいは指導していた。毎月の正しい月次決算あってこそ、最終的な年次決算書の作成ができるのであり、それはシステムが勝手に作成してくれるものではない。

本書はタイトルに「いまさら人に聞けない」とあるように、非常にわかりやすく「月次決算」について書かれている。その必要性、どのように活用するか、ということは言うまでもなく、どのように作成するのかを実務レベルで一つ一つの手順を説明している。あくまでも「基礎」であって、これをその会社ごとに「応用」してかなければならないのではあるが。
Q&A方式で自分に足りない知識をピンポイントで補いやすいという点も、入門書としてはよいのではないかと思う。

月次決算は即時性を求められる。でなければ作成する意味がないと言っても過言ではない。より効率的に、より精度をあげて(重要性の有無を的確に判断し)、前月末から数日後には形になっていなければならない。そのためにはどのように作業を進めていけばいいかということにも多くページを割いている。

経理のような管理部門だと、コストをあまりかけられなかったのではないだろうか。私が勤めているのは民間企業ではないが、前述したとおり管理部門は軽視されていた傾向があり、逆に未収金回収部門などは強化されていた。しかし、その部門での会議に用いられる資料は管理部門が作成したものだ。それが正しく作られていなければ、正しい判断は難しい。そのことをまず経営者の方々に認識していただきたい。
システムなどの設備投資はもちろんのこと、経理部門の人材育成および各部門の協力体制の整備などは、企業・団体の上部が動かなければ実現は難しい。
そのようなことを再確認する意味でも、実務者だけでなく経営に携わる方々にも読んでいただきたい一冊である(”釈迦に説法”ということになるのかもしれないが)。


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2011年11月15日 (火)

警告〈目覚めよ!日本〉

この書籍では、【世界経済】の金融危機に言及した「警告」の章の他、対岸の火事ではない【日本社会】や、【ビジネス、経営】、【震災復興】、【教育・生活者】の5編、計:30からなるメッセージを会員制月刊情報誌「大前研一通信」の記事から厳選して編集構成しており、大前研一が、「警告」のみに留まるのではなく、独自の視点で世界、日本の抱える難題に対する分析、処方箋も解説していることがお分かりになるかと思います。
(本書「はじめに」より抜粋)

※本書は「レビュープラス」様からいただきました。ありがとうございます。

大前氏の著書は約1年ほど前に「お金の流れが変わった!」を手にした。あれから、日本の情勢はどのように変わっていったのだろう。少なくともよい方向に進んでいないのは確かだ。「お金の流れが変わった!」を読んでからわずか3ヵ月足らず後には、東日本大震災が起こっている。日本は大きな波に飲まれ、舵を失った船のように針路が定まらない状態だ。

経済関連の書籍を読むたびに思うのは己の知識の乏しさ。政治・経済に関して興味を持ち始めてから数年しか経っていないのだから、それも仕方ないところか。今からでも遅くはないと何度も思うのだが、本を読むたびにもっと早くから手を出しておくべきだったと悔やむ。

大前氏の著書は、わかりやすい。言い回しが平易で、だからと言って内容が浅いわけではない。読んでいて、経済のカラクリが朧気ながらも見えてくるような気がするのだ。こんな私でも。その言葉の真偽を判断する術を今は持っていないが、現在の日本、世界が抱える経済的問題の解決策を探るスタートラインに立たせてくれるように思える。

本書は、世界経済の問題点を語り、そうして日本社会の問題点を語り、その後に更にポイントを絞って各点について語っている。順々に説いているので、頭に入りやすい。どんな問題があり、どのような解決策があり、放置していればどうなるのか。そういったことについて、具体的に述べている。
感じるのは、政治家、官僚、民間のトップが、何を守ろうとしているのか、少なくても「日本」ではないようだ、ということだ。それぞれの立場で「日本」を救うためにできることはあるはずなのに、それができないのはなぜか。小さな視点でしか情勢を見ることができない人間が多いのではないかと感じる。それぞれの小さな視点で見える「何か」を守ろうとしているため、ちぐはぐな対応しかできていない。そんな気がするのだ。

一番「我が意を得たり!」と感じた言葉は次の部分。

現在の新規上場不振はやる気のない若者が増えたからではなく、資金などの出し手が10年前に比べて極端に減った社会的背景の問題が大きい。やる気のない弱者は救うが、やる気のある勇者の足は引っ張る民主党政権になって、ますますその傾向が強まっている。

どんな問題に対しても効果的な施策が打てず、ポイントを外した(人気取りにもならない)政策ばかりが目立つ政権にこれからの日本の舵取りができるのだろうか。
国民もそれぞれの危機意識をもっと高めなければならない。個々人でぶつぶつつぶやいているだけでは何も変わらないのでは。自分の面倒は自分で見る。そういう強さが必要な時代がやって来るように思う。


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2011年11月11日 (金)

2011年11月11日の借り本

予約していた4冊のうち2冊が借りることができると連絡いただいたので早速図書館へ。

プリズム/百田尚樹(幻冬舎)
少女/湊かなえ(早川書房)

読むスピードを上げていかないと追いつきません(汗


次の2冊はまだ順番待ちです。
贖罪/湊かなえ(東京創元社)
謎解きはディナーのあとで/東川篤哉(小学館)

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2011年11月 4日 (金)

2011年11月04日の借り本

返すだけのつもりが、また借りてしまいました^^;
3冊も。
今回は全部読んでから返却したいものです。

殺人鬼フジコの衝動」がやけに印象に残ったので同じ著者の本を一冊借りてきました。
更年期少女/真梨幸子(幻冬舎)

以前から気になっていた本を一冊。
魔女は甦る/中山七里(幻冬舎)

カウンターで展示されていたのを見つけました。以前に読んだ同じ著者の「磯野家の相続」が面白かったので。
磯野家の相続税/長谷川裕雅(すばる舎)


ついでに読みたかった本を予約。
プリズム/百田尚樹(幻冬舎)
少女/湊かなえ(早川書房)
贖罪/湊かなえ(東京創元社)
謎解きはディナーのあとで/東川篤哉(小学館)

「謎解きは…」は半年前に県立図書館で予約したのですが、まだ順番が回ってきません^^;
市立図書館でも15人待ちだそうで。いつになるのかなぁ…。
ま、それまではドラマで楽しませていただきます^^

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2011年10月23日 (日)

映画字幕の作り方教えます

映画字幕作り57年、その数なんと2千本に及ぶ斯界の第一人者が語る草創期の苦心から、最近の「フルメタルジャケット」事件まで。字幕翻訳の秘訣は「正しく、こなれた日本語と、雑学への限りない好奇心」と説く著者が明かす名訳、誤訳、珍訳の数々。63年5月、急逝した著者が遺した映画ファン必読の書。
(「BOOK」データベースより)

この本は昨年末に読んだ「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」で触れられており、興味を持って手にした。1988年に出版された本で、オンライン書店でも新品を入手することは困難な本である。今回は幸いにも近くの図書館にあったので、読むことができた。

著者の清水俊二氏は明治39年生まれ、この文庫本が出版される数ヶ月前にこの世を去られた。戦前から映画字幕の仕事に携わっていらした。タイトルからは字幕の作り方が書かれたHow to 本を想像するが、内容はそうではない。映画字幕に関わる様々なエピソードを綴ったものである。

しかし、ところどころで「字幕作成講座」のようなものが愉しめる。外国映画の台詞をまずそのまま載せ(ほとんどが英語である)、そうして「さあ、この字数で上手く日本語で字幕を付けてご覧なさい」と読者に投げかけるのだ。これが思いの外、難しい。私はあまり英語が得意ではなくボキャブラリーに乏しいから当たり前なのだが、英語に自信のある方でも「字幕作成」という特殊な作業は難しく思われるのではないだろうか。原文を直訳すればOKというわけではない。以前、「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」でも触れたけれど、映画のストーリーをよくよく理解していないと字幕は作れない。
例えば「You」という言葉ひとつにしても日本語では、「君、あなた、お前、貴様」、まだまだある。もしかすると「あなたたち」と複数かもしれない。そういうことを全てチェックした上で字幕というものが作られていくのだ。しかも、そうやって苦労して作った字幕は観客にその苦労を意識されてはいけない。映画の鑑賞を少しでも妨げるような字幕は失格なのである。空気のように、ストーリーの流れに沿って、字幕を読んでいることを意識させずに、それでいて内容はちゃんと伝えなければならない。ほぉ…。大変な技術である。

戦前から映画字幕作成に携わってこられたということで、その時代ごとの字幕作成の世界の流れをかいま見ることができる部分は、非常に興味深く読んだ。日本からサンフランシスコまで片道で二週間かかった時代や、航空機にベッドがあった時代。今では信じられない時代だ。

そう言えば、改めて考えると当たり前なのだけれど、言われて初めて認識した事実。字幕一枚一枚を手書きしていた、ということだ。昭和の時代、私が観ていた字幕はどうなのだろう。あれもまだ手書きだったのだろうか。そんなことを意識しないほど、「字幕」は映画に溶け込んでいた。

最近は字幕派より吹き替え派の方が多いとも聞く。ディズニー映画だと必ず字幕版と吹き替え版が同時上映されている。しかし、私が小・中学校の頃に観ていた外国映画は字幕しかなかった。「E.T.」も「アニー」も「ネバー・エンディング・ストーリー」も「バック・トゥ・ザ・フューチャー」も。それでもストーリーを楽しむのに何ら支障はなかった(小学校にまだ入学していなかった弟も字幕版で「E.T.」のストーリーをちゃんと飲み込んでいたのだから、考えてみると不思議である)。それだけ「誰にでも、どんな世代にでも理解できる字幕」というものが創られていたということなのだろう。字幕で読み取れない部分があったとしても、映像や音から自分自身で補っていたのかもしれない。吹き替えはTVだけでしか観られないという時代だった。

清水氏は字幕の話を「苦労話」として捉えられるのを好まなかったという。楽しんでやっていたのだから、と。本書からは、著者の「字幕作成」という仕事に対する矜持というものが伝わってくる。そうしてその仕事に対する情熱も。譲れない部分、諦めなければならない部分、その葛藤に触れたエピソードもある。

文庫解説は清水氏の教え子ともいうべき戸田奈津子氏である。清水氏の人柄がよく伝わってくるあとがきだった。

意訳だの誤訳だのと、やいのやいの言われることも多い「字幕」。しかし、それぞれの持ち味があってよいのではないかとも思う。外国映画を自分自身の感覚のみで心底味わいたいのなら、字幕なしでオリジナルを観ればよい。「字幕屋」は「字幕屋」なりのこだわりがあって、「字幕」を創っているのだと思う。それは「演出」と言ってもよいくらいの大作業である。できるだけオリジナルの良さを活かす「演出」だ。そこにある程度、「字幕屋」さんのオリジナル部分が入り込んでくるのは避けられない。それも込みで愉しめる「字幕」映画が私は好きだ。


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2011年10月18日 (火)

「うつです」というその前に

うつ病は、確かにつらく苦しい病です。けれど、普通に治療すれば、普通に治る病気なのです。もちろん、遷延や再発といったこともありますが、それも他の病気と考え方は一緒です。「一億総うつ病化社会」に贈る、本当の処方せん。
(「BOOK」データベースより)

書店で見つけてタイトル買い。マンガにも見覚えがあったので興味を惹かれて。家に帰ってよく見ると、著者は香山リカ氏だった。正直、「あちゃ~!」と思った。彼女の本は他にも数冊持っていて、「「私はうつ」と言いたがる人たち」が最初に読んだ本だったかな。内容は本書とほぼ同じ。だから読後の感想も「やっぱりね…」しかなかったのだ。

臨床現場でおそらく”うつ病になりたい人”に困らされているのだろう。「うつ病」と書かれた診断書を伝家の宝刀の如く振りかざして好き放題やっている人たちが本当に存在するのかどうかはわからない。自分自身は近くのコンビニに買い物に行くどころか、数十メートル離れた自動販売機まで行くことすら体力的にキツかったから、仮にも医者から「うつ病」と診断された人々がリフレッシュと称して海外旅行に出かけたり、転職活動にいそしんだりということが信じられないのだ。

「従来型うつ病」というのは、休息と時間が治癒してくれる。それを補うために薬を使うわけだ。けれど、根本的に思考の歪みがある場合、そう簡単にはいかない。その歪みを矯正していかない限りは激しい気分の浮き沈みを繰り返す。そういう長期化する「うつ病」もある。
「従来型うつ病」ではない=「新型うつ病」と定義して、一括りにトラブル・メーカー扱いしているような印象を、本書(というより、彼女の著書)からは受けるのだ。そう印象づけられてしまうと、かなり辛い。

確かに心療内科が乱立し、簡単に「うつ病」と診断されるケースが多発しているとは思う。原因を探っていけば実は「うつ病」ではない場合も多いだろう。けれど、待合室で1,2時間待たされたあげく、診察時間は10分足らずという心療内科。一人一人に深く付き合ってはくれないのが現実。これではまともな診断はできないと私は感じている。今は精神科の医師にはあまり期待していない。とりあえず薬をもらいに行くのみだ。自分でよい方向に進まなければ…と思うのだが、一人だとなかなか上手くはいかない。医師ではなくカウンセラーや臨床心理士に頼ろうとすると保険が使えないので、料金が高くなる。手は出せない。

「うつ病」と言われて「わーい♪」と喜ぶ人に直接お目にかかったことがないのだけれど、存在してはいるんだろう。そういう「うつ病」の方々に迷惑をかけられているという話も耳にする(私自身も職場に迷惑をかけているところで、かなり心苦しく感じている。決して休みたくはなかったのだけれど、結果は休んでしまっているのだから端からみると同じなのかもしれない)。
そういう人たちには「当たり前の感覚」というものが欠如しているわけで、やはり別の精神的な歪みを抱えているのではないだろうか。それを矯正していくような方法を示して貰えれば…と思うのだが。

現在「うつ病治療真っ只中」の方は、決して手にしないように。それだけはお願いしたい。自分を責める材料が増えるだけだから。

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2011年10月 1日 (土)

わたしは働くうつウーマン

バリバリのキャリアウーマンがある日、体の不調をきっかけに…。実体験をもとにした、詳細なリアルストーリー。
(「BOOK」データベースより)

リアリティ溢れる一冊。実際に経験したことを綴っているのだから、そうなるんだろうけれど。でもな…。
「まえがき」にあることば。

人生、時には逃げたっていいんだよ。
それが数年かかっても、
もしかして一生ものになったとしても、
上手くつき合っていけたら、それで良いじゃないか。

そもそも「うつ病」って、一生つきあわなくちゃいけないタイプの病気なのだろうか。
私は2006年に「うつ病」だという診断を下されて、それ以降5年以上薬を飲み続ける生活を続けている。いつか薬を飲まなくても眠る日がくることを心から、本当に心から願ってやまない。おそらく私が抱えているものは「うつ病」だけではないんだ。それ以外の何か思考の歪みが精神的な病を生み出しているんだ。そう思う。それをなんとか心に負担をかけない思考方法へと修正していく必要がある。それができたとき、初めて新しい自分になって、「うつ病」が治ったよと言えるんだと思う。

著者はパニック障害も抱えているから、「病気と一生つきあうなんて…」と簡単に否定することはできない。というより精神的な病は原因も治療方法も人それぞれだと思うから、「あーすべきだ、こーすべきだ」とは第三者から言えるものでもない。

私も未だに、気分が堕ちたり元に戻ったりを繰り返すことが少なくない。以前ほどではないと思うけれど。一緒に暮らす相方の気苦労も大変だろうなぁ…(べ、別に他人事だと思っているわけぢゃないよ(汗)。申し訳ないなと思っているのよ(大汗))。こちらはこちらで、要らぬ気を遣いたくなくていっそ一人の方がいいんじゃないかしら…と思うこともある。

とはいえ、自分一人でフリーランスの生活を送りながらこの類の病気とつきあうというのは、かなりリスクは大きいな。同居人がいれば、万一のときに頼ることができる。助けてもらうことができる。定職に就いていれば、なんとか定期的な収入は入る(休職中も傷病手当がでるし)。
フリーライターともなれば、文字通りに「働かなければ食えない」のだ。休みたい時を選ぶ自由もあるけれど、それも制限はあるよね。

「家事ができなくて泣く」「勝手に薬をやめてリバウンド」「入院を勧められる」「過食になって自己嫌悪スパイラル」…。おぉ、思い出してしまうではないの(苦笑)。ま、一部は今も続いているけれど。2年も診ていただいていた主治医に入院を勧められたときには「見捨てられた…。」と思ったものだ。その入院生活もあまり活かせず今に至るのだが。

だよねー、と思ったり、違うんじゃない?と思ったりしながら、サクッと1時間弱で読み終えることができた。
うつ病と一生上手くつきあうなんて私はイヤだけれど、そういう考え方もアリなのかなぁ。ま、前述したとおり、うつ病”だけ”ではないと思うんだけどね。
闘病真っ只中にいらっしゃる方にはお薦めできないけれど、周りにそういう方がいらっしゃる方なら、一読しておいてもよいかと。けれど、これはかなり特殊な事例だということを念頭に置いて。

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2011年9月24日 (土)

2011年09月24日の借り本

2週間前に借りた本を返しに行ったついでに、また借りてきてしまいました。
積ん読本はいつ読む?!

以前から読みたかったシリーズ。(著者:P.L.トラヴァース、訳:林容吉)
風にのってきたメアリー・ポピンズ(岩波少年文庫)
帰ってきたメアリー・ポピンズ(岩波少年文庫)
とびらをあけるメアリー・ポピンズ(岩波少年文庫)
公園のメアリー・ポピンズ(岩波少年文庫)

こちらも前から読みたかった本を。(著者:田辺聖子)
田辺聖子の古典まんだら〈上〉(新潮社)
田辺聖子の古典まんだら〈下〉(新潮社)

で、2週間前に借りてきて読み切れなかったので延長した本がこちら。
映画字幕の作り方教えます/清水俊二(文春文庫)


果たして読み切れるでしょうか^^;


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2011年9月15日 (木)

適当な日本語

日本語学者として、各国で日本語を教え、たくさんの日本語教師を育ててきた金田一先生が、言葉の疑問に答えます。間違いやすい言葉遣いをはじめ、現代の敬語やKY語の問題にも触れました。また、パソコン&ケータイ時代ならではの、「同音異義漢字」のドリルも収録。さらに、粋に使ってみたくなる日本の懐かしい言葉も覚えれば、あなたも「適当な日本語」が身につくこと間違いなし。
(「BOOK」データベースより)

自分でも「言葉」には細かい方だと思っている。ちょっとした言葉遣いが気になって仕方がない。
ファミレスでの「ご注文はおそろいでしょうか?」「こちら、カルボナーラになります」「5,000円からお預かりします」「以上でよろしかったでしょうか」などなど・・・。なんか聞くたびにモヤモヤしてしまうのだ。
だからといって、私自身が本当に「正しい」言葉遣いをしているのか?と問われれば、「はい!」と元気よく断言する自信はない。

本書のポイントは「言葉」より「気持ち」を大切にということかな。それが本来の日本語の使い方と異なっていたとしても、その「気持ち」を酌み取ってコミュニケーションをとりましょうと。「その言葉は間違っている!」と頭ごなしに決めつけるのではなく、もし本当に不適切であれば、「最近の若者は・・・」などという筋違いの枕詞をつけずに、「それはこう使うのだよ」と教えてあげればいいではないの。そういうことだ。耳が痛い・・・(苦笑)。

タイトルに使っている「適当な」という言葉には「適切である」という意味と「いい加減」という意味を含んでいるのだと金田一先生は言う。
話し手、聞き手、その場の状況を勘案した「適切」さ。そして言葉への柔軟な態度を意味する「いい加減」さ。この2つを合わせて「適当」と呼ぶのだ。

第1章「適当な日本語相談室」では、日本語に関する31の相談に金田一先生が答えている。その答えに前述したように「言葉」より「気持ち」だよという部分がよく表れている。言葉は変化するもの。けれど、変わらない言葉というものもあるわけで、そのあたりの使い分けというか、なんというか。要するに「適当に」ということなのだ。臨機応変に。そのTPOに合わせた言葉を、ということかな。「正しい(と思っている)言葉」を重視しすぎるあまりに人の気持ちを無視してはいけない。

第2章は「今こそ使いたい懐かしい言葉」。ここでは10の言葉をあげている。その中にはないけれど、「おいたしちゃだめよ」なんて最近言う人はいるのかしら?

第3章は「パソコン&ケータイ時代の感じ選び」。同じ読みだけれど意味が違う言葉を並べて、どれが正解でしょうというクイズが36題。それほど難しいものはないけれど、ところどころ気になる点も。ある例題では「常用外」だけれどもOKとなっていて、違う例題では「常用外」だからNGとされていたりする。この違いはなんだろうなぁと引っかかるのだけれど、こういう妙なこだわりがいけないのかしらねぇ(苦笑)。

言葉に関しては、絶対的に「正しい」というものがあるのだろうか。時代と共にどんどんと変わっていく「言葉」。最初は「おかしい」と言われたものもいつの間にか受け容れられてしまうことだって多い。「正しい」言葉なんて無くて、その時々に合わせた「適当」な言葉だけがあるんじゃないかなぁ。読み終えた今、そう思う。


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